弓木奈於の詳細経歴

弓木奈於ヒストリー

HISTORY

生い立ち・性格

弓木奈於。1999年2月3日生まれ、7人きょうだいの次女(構成は姉、弟、弟、弟、妹、妹)、京都府出身。生粋のおばあちゃんっ子。

性格はネガティブ、「自分は良くても相手は気にしているかもしれない」と凄く不安になるタイプで、自分のことを追い詰めがちなところがあるのだそう。

相手から何かされても嫌だなと思うことがほぼないらしく、家では自分の物でも皆で使うため、自分の物がなくなっても「誰かが使っているんだろうな」と思い、この面では気にしない性格なのだそう。

次女であるために皆で出かけるときは弟妹がついてきているかしっかり見る必要があり、迷子が出ると怒られることもあったため、「自分が自分が」となることがあまりないらしい。

大家族が故に、家では洗濯機を1日3回回し、食事は3部制となっている。

乃木坂46との出会い

乃木坂46は初めて好きになったアイドルで、1期生オーディションのニュース映像を見て興味を持つようになったが、自分の好きなことを誰かに否定されるのが怖く、家でも様々な情報を携帯でこっそり見て家族にもバレないよう、密かに応援していた。

中学時代〜『ロマイカ』結成

中学校に進学すると仲良しな友達4人と『ロマンティックなイカ焼き食べたい』略して『ロマイカ』を結成し、乃木坂46の曲をカラオケで歌ったり、教室の真ん中で歌ったりしていた。しかし弓木奈於さんは周りの目を気にしてしまい、教室で歌うときは端で手拍子をしていた。

父親がよく転勤する影響で転校が多く、部活には入らなかったが、中学一年生で転校した際に父親から「これからは転勤がない」と言われ、社会人バスケをしていた父親の応援に行っていたことで興味を持っていたバスケットボール部に入部。

身長が162㎝あったこともあり、背の高さを生かしてリバウンドが取れることを買われ、2年生でレギュラーに。ボックスアウトで相手に体重をかけるのが申し訳ないなと思いながらプレーしていたが、先生から「情けは無用だ」と言われてからは申し訳なさを消してプレーしていた。

人生の転機〜「人生、後悔するか、しないか」

人生、後悔するか、しないか。

── BLT2020年10月号より

高校卒業後は姉の真似をし、教員免許の取れる通信制の大学に入学。しかし、その姉が大病を患い、療養中の姉と話していく中で「人生、後悔するか、しないか」という話になり、その時に初めて自分自身について真剣に考えた。

それまでの自分を振り返ると、誰かに「やってみたら?」と言われて様々なことを始めたり、東京で少し芸能活動をしていたのも母の勧めで始めたりと、「(自分は)周りの人が作った道を歩いてきただけで、「自分が何をやりたいか」を考えたことがなかった」と思い、「自分が本当にやりたいことは何だろう」と自身に問いかけ、出て来た答えが心の奥に隠しながらも昔から好きだった「アイドル」だった。

坂道合同オーディションへの挑戦

しかし、「お前なんか無理だ」と否定されるのが怖く、誰にもアイドルになりたいと言えなかったある日、アイドルになりたいと一度も伝えたことのなかった母親から「オーディションがあるらしいで」と言われ、「19歳だし最後に一回受けてみようかな」、「でも、受からないからやめよう」と悩んだが、母親に「オーディションに応募したい」と電話すると「ずっとやりたいって言ってくれるの待ってたよ。アイドルになりたいって思ってたんでしょ」と言われ、その一言で覚悟が決まり、坂道合同オーディションに応募。

最終審査まで進み、歌唱審査ではsumikaさんの『Lovers』を歌い、歌唱後に秋元康さんから「なぜこの曲を歌おうと思ったんですか?」と聞かれると、「曲の中に「ねぇ浮気して」って歌詞があるんですけど、浮気してって言ったことがないのでこの場で言っておこうと思った。」と答えた。

そして坂道合同オーディションに見事合格。しかし坂道3グループのいずれにも配属されなかった。

合格後の葛藤と家族の支え

自分が後悔しないような選択をしなさい。

── EX大衆2020年7月号より

京都に帰る新幹線で応援してくれていた母親に何と言えばいいのか悩むも、母親は「あ、そうなん」「家のことの方が大変やわ」と気にしないふりをしていたが、母親に気を遣わせていることに申し訳ないと感じて、家では笑顔を忘れないように過ごした。

毎日、申し訳ないと思いながら過ごしていたある日、研修生として活動する話が舞い込む。しかし「研修生になったとしても、配属されるかどうかわからず、夢とかそういうのはいいから、ちゃんとお金を稼いで、ちゃんとしたお姉ちゃんにならなきゃダメなんじゃないか」と葛藤していると、両親から「お金とか家族とかちゃんとしなきゃとか考えなくていいから、自分のやりたいことに挑戦しなさい」と言われ坂道研修生として活動をスタートする。

研修生時代

研修生ライブでは学生時代の親友がプレッシャーをかけないようにと事前に連絡せず内緒で観に来ており、終演後、「奈於が拙い日本語でも一生懸命伝えようってしてくれてる姿が、私は昔から大好きだよ」と長文のメールを貰い、思わず泣いてしまった。

乃木坂46 4期生として加入

祖母は足が悪く東京に来ることができないので、テレビだったり、京都でできるお仕事を頂いて祖父母孝行がしたい。

── アップトゥボーイ2022年2月号より

それから1年数か月が経った2020年2月16日、乃木坂46への配属が発表され、夢だったアイドル、そして乃木坂46としての活動をスタートする。

祖母は足が悪く東京に来ることができないので、テレビだったり、京都でできるお仕事を頂いて祖父母孝行がしたいと語っている。

これからの活動

coming soon...

出典

[1]乃木坂46公式サイトより
[2]BLT2020年10月号より
[3]月刊バスケットボール2022年12月号より
[4]BRODY2019年12月号より
[5]UTB2020年12月号より
[6]UTB2022年2月号より
[7]EX大衆2020年7月号より
[8]EX大衆2022年1月号より

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